【南米ボリビア紀行2010】オルロのカーニバル2

おそらく世間一般で有名な「オルロのカーニバル」は、週末の土曜に行われるパレードだろう。パレードの道に沿って設置された座席もその日は予約制で有料となる。道でカメラやビデオを撮るにも事前に申し込む許可証が必要なくらいだ。

オルロの目玉ともいえるディアブラーダやモレナーダが観れるのが土曜のパレード。その日一日かと思いきや、次の日の日曜も踊る順番を変え、お面を外してパレードに興じる。

個人的には「行なう」より「興じる」という日本語が正しいと思う。なぜなら、参加しているダンサーやバンドのメンバーが一番楽しんで見えたからだ。

私にとってはもはやお決まりの感すらあるが、当日パレードが始まってからVIP席に日よけをこしらえたり、ゲートに照明を取り付けたりしている様子を横目にビデオを撮った。ビデオを撮るのにどんな苦労をしたのかは割愛させていただく。

遠くから大太鼓のリズムが聞こえてきて、それがだんだんと近づくとわくわくしてきて、まさにその集団が50m先の角を曲がってその姿を表すたびに鳥肌がたつほどだ。人数といい衣装といい、そしてバンダ(ブラスバンド)の迫力ある音楽に圧倒される。

オルロ2010


オルロ2010だがしかし、間が長い。グループとグループの間がどうしようもなく長い。あとからきいたのだが、衣装がパレードの当日の朝届くそうだ。置く場所がないのが理由のひとつらしいが、なんたること…。それは遅れるに決まっている。

なんだかお祭り気分にのれるようなのれないような。きっとビデオを抱えてるからだろうなと半分あきらめて、衣装を真剣に観ることにした。

カーニバルのあと何人かのボリビア人や知り合いのアルゼンチン人にきいたのだが、今年2010年のカーニバルは例年と雰囲気が少し違ったようだ。

「なんだかわからないけど、イマイチ盛り上がれなかった」と口々に言っていた。私も同じだったのでなんだったのだろうな、と不思議に思った。

ちなみに警察に捕まった人も犯罪も非常に少なかったそうだ。それは喜ばしい限りだが、一体なんだったのだろう。

外国人から見ると用意周到ではないし、「welcome!」という雰囲気でもない。人々を惹きつけることもしてないし、毎年楽しみにやってくる外国人はいかばかりだろうか。

正直ちょっともったいない、と思う。素晴らしい文化、アートであるのには変わりないのだから。もっと魅せればいいのに。

期待が大きすぎたのか、自分のバックグラウンドがそう思わせるのかわからないが、今年のオルロのカーニバルはなんとも興味深い印象が後に残る結果となった。

ただ、改めて思ったのは、ボリビアのフォルクローレはどうしようもないくらい「センス」がいい。衣装も音楽も踊りも。国内の異文化がなせる業なのか一言では説明のしようのない、大学教授の論文を読んでもきっと納得しきれない何かがある。

それに一番気づいていないのは、もしかしたらボリビアの人々なのかもしれない。

オルロ
オルロ




ボリビア紀行2010はこれをもちまして一旦終了といたします。


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【南米ボリビア紀行2010】オルロのカーニバル1

オルロのカーニバル。
南米三大カーニバルのひとつ。ユネスコ無形文化遺産に登録。

日本のねぶた祭りや京都で行われる葵祭は文化遺産に登録されているのかと思っていたら、そのリストにそれらは載っていなかった。
代わりにあったのは、能楽と人形浄瑠璃と歌舞伎だった。

色とりどりの衣装を着て、何百人というダンサーがパレードする、そんなことしか知らなかったのだが、現地に着くと1月の半ばからちらほらイベントが始まることを知った。

もちろん、いわゆるカーニバルの週の前後にイベントが集中し、その時期は毎日のようにオルロの町でなにかしら行われている。

パレードの前の週末には、カーニバルで音を奏でるブラスバンドが一斉に集まって演奏をしたり、パレードに参加するダンサーたちが衣装は着ずとも本番通りの予行演習をする。

そして、その予行演習を見るために町の人々が沿道に群がり、カーニバルの訪れを楽しんでいるようだった。

町の入口の豪華な2009年の看板はさておき、町の中心部はそれとなくカーニバルが始まっていた。

パレードのある週の木曜日にアウトクトナのパレードがあったので、朝からビデオカメラを手に見に行くことにした。

朝から・・・、そう朝からやるのだ。そして、例にもれずそのパレードも夜まで続いた。なんといってもそれはカーニバルなのだ。

はじめて目にする正真正銘のアウトクトナの踊りと音楽。予想以上に素晴らしかった。同じような音階、同じようなステップ、だけどやはり違うものは違う踊りと衣装と音楽たち。

オルロ2010








オルロ2010
オルロ2010
オルロ2010
オルロ2010

素朴といえば素朴だけれども、年に一度のカーニバルのために着飾って踊る人々をみて、こちらも楽しい気分になっていった。

そして、大地に根差した感というのか、上手く説明できないが、安心感すら感じる自然とともに生きる人々の絶対的な強さ、たおやかさがにじみ出ていた。

コンクリートの上で生まれ育った自分には到底かなわない、一生かかってもどうにも太刀打ちできないなにかを感じた。

パレードに参加した夫婦に呼び止められて「日本からきた外国人」と一緒に写真を撮ってくれた。思わず目をつぶってしまっている二人とどうやら癒されて自然に笑っている自分の笑顔。ボリビアの何よりのお土産だ。


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【南米ボリビア紀行2010】オルロのカーニバル 序章

今回のボリビア滞在のミッションその1。
「オルロのカーニバルを映像に収めること」

はじめて滞在する南米で、しかもある意味なんでもアリのカーニバル。
不安よりも、自分の身の安全を第一に考えた。

日本で仕入れた情報では、カーニバルの期間ホテルは満室。
「半年前から行動せよ」とのことだったが、そこはボリビア人に任せていた。

何も考えていなかったのが幸か不幸か、現地でホテルを探すことに。
その時点で、カーニバルまで2週間もない。

「いつもはすぐ見つかる」という発言もむなしく、苦戦苦戦の連続。
ホテルが見つからない。

電話で話しても埒が明かないので、カーニバルの前の週末に現地で交渉することになった。

ラパスからオルロまで高速バスで4時間ほど。
標高4000mに広がる大平原をひたすら走っていく。
そう、ここがアルティプラノだ。

どこまでも続く大地と青空。自然に抱かれて生きる人々。
時折目にする無防備な動物たち。
厳しい環境を目にしているのにもかかわらず、どこか自分が癒されていくのを感じた。

オルロの町の入口につくと、ディアブラーダのお面をデザインした素晴らしく華やかで大きな看板があった。
しかし、それは2009年、昨年のカーニバルのものだ。

「来週末、本当にやる気があるのか」と突っ込みを入れたくなったが、
今まで数少ないボリビア人を見てきて、これが自然なのだろうと思い直した。

ボリビア人のご主人をもつ友人の言葉が聞こえる。
「日本人からみたらハラハラさせられるけど、直前までもめたり喧嘩したりしながらも当日になんとかやってのけてしまうのがボリビア人」

「やるのは決まってるんだから早くやって、当日まで楽しめばいいのに」というのは、ただの外国人(日本人)のおせっかいかもしれない。

カーニバルの雰囲気を感じないオルロの町へ、とにかくバスは入っていった。

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【南米ボリビア紀行2010】パーティーの思い出

サンタクルスに着いた日の夜、友人夫婦のお友達が誕生日パーティーをするということで、予定していたレストランへ行くのをやめて急遽そのパーティーへ行くことになった。

パーティーといっても家族とごく親しい友人が集まるホームパーティーで、庭先にテーブルと椅子を並べて、集まった人みんなで顔を合わせて食事をした。言葉が通じなくとも相手の心遣いは伝わるし、夫婦を通じてコミュニケーションをしたりして楽しいひと時を過ごした。それに、着いたその日にボリビア人の家庭料理を食べられるなんて夢にも思っていなかったので本当にうれしかった。

最初のうちどんな音楽がかかっていたのか忘れてしまったが、そのうちフォルクローレが流れてきて、どの曲も日本のダンスパーティー「Fiesta Bailable」で聴いたことがある曲ばかりだったので驚いた。そうしているうちに、その日はじめて会った人たちに囲まれながらも、とても楽しい気分になっていった。

あとで、相当後悔することになるのだが、わたしが日本でボリビアのフォルクローレを趣味で習っていることを友人が話し、「どんな踊りが好きなの?」という質問に「ティンクとか好きだよ」と答えた。

時間がたつにつれ、次々順番に踊りだしてみんなで大盛り上がり。当然、私にはティンクを踊れという指令が飛び、満腹のお腹をかかえて汗だくになって踊る羽目になった。(チャカレーラにしてくれと何度もお願いしたのに)

私自身はなんとなく踊れる程度なのだが、そんな私の姿をみてボリビア人たちは大いに喜んでくれた。その後、何度も乾杯をし、どさくさでちっとも踊れないカポラレスを踊らされ、その日はくたくたになった。今思えば、ボリビアに着いたその日だから当然か。

友人の結婚式のパーティーでもフォルクローレが流れてみんなに交じって踊ったのだが、まさか日本人が踊れるとは思わないボリビア人たちは驚きつつもとても喜んでくれた。それは目の前のグラスに注がれるアルコールの量だけで実感できたものではなく、カタコトのスペイン語が一気に通じるような感覚だった。気づいたらボリビア人ばかりの輪に入っていて、半分以上分からないはずのその会話にまじり、そのうちその人たちと踊ったりしていた。

ラテン系の人たちにとって踊りは大事なコミュニケーションなのだろうなと日本にいる時から思っていたが、それを否応なく実感させられた。何年もフォルクローレを習っている人があの場で踊ったら、あのおじさん、おばさんたちは本当に腰を抜かしたかもしれない。

スペイン語の能力があるに越したことはないが、自分の国のことを語れて、フォルクローレが踊れればボリビアでの滞在は一層楽しくなるだろう。ダンスクラスの宣伝のつもりはないが、これからボリビアへ行きたいと思っている方にはダンスを少しでも習うことを強くお勧めする。

今回の1ヶ月間の滞在はバタバタと忙しいものだったのだが、サンタクルスとスクレでは自分が思っていた以上にボリビア人の方々と接することができ、また家庭の味も体験できて私の中で非常に思い出深いものになっている。ひとりひとりに伝える方法がないのだが、出会ったすべての人に心から感謝している。

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【南米ボリビア紀行2010】サルテーニャ

ボリビアに着いて最初に食したもの、それはサルテーニャ。
一番楽しみにしていた食べ物だ。
ご多忙にも関わらず、空港まで迎えにきてくれたご夫婦にご馳走になった。

外はサクサク、中はジューシー。スープをすすれるほどだ。
鶏肉や牛肉、じゃがいもをはじめとする野菜がたっぷり入っている。加えて、ゆで卵を輪切りにしたものが入っていることがほとんどだ。

一度、自分で作ってみたことがあるのだが、当然味は違った。
そして、スプーンでスープをすくえるほどだったのには本当に驚いた。

サルテーニャ
サルテーニャ。(おいしそーう!食べたい!!)


サルテーニャ

















中はこんなにジューシー。
サルテーニャの上部をスプーンで突っついて穴を空けで食べたり、手に取って頬張ったり。
熱々のスープには要注意だが、とってもおいしい!!


お肉と野菜がバランスよくとれるし、毎日食べたいくらい。
ボリビア人と結婚した別の日本人の友人もボリビアの食事の中で一番好きだと言っていたが、私もまず最初にこの名をあげるだろう。

その友人の話では、ボリビア人にとってこれは食事ではなく
おやつのようなものらしいが。
「サルテーニャ?それは食事じゃないよー」
と言われたとのこと。

それもそのはず。豊かな食文化のボリビア。
朝起きてまずは朝食、
11時前後に軽食、←ここでサルテーニャ登場。
14時前後にランチ、
17時前後におやつ、
20時前後に夕食。

時間は前後するものの、とにかく基本1日5回なにかしら食べている。

サルテーニャも一日中売っているというわけではなく、
基本的に午前中のしかも10時過ぎぐらいにならないとない。
朝ごはんにちょうどいいからといって、8時ごろ買いに行ってもそこにサルテーニャの姿はないだろう。

「別に朝だろうが夜だろうがいつ食べたっていいじゃないか」
そう思ってしまうのは、一年中何でもスーパーにあって
24時間コンビニエンスストアが開いている
そんな環境にいるから思うことなのだろうか、とふと思った。


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【南米ボリビア紀行2010】サンタ・クルス・デ・ラ・シエラ

ラパスを出発した飛行機が進むにつれて山々の景色から
緑の生い茂る森林地帯へと確実に変化していく。
地図の上で何度も見たボリビアを間近で見ていることを実感した。

サンタクルス、ビルビル国際空港に到着。
暑い・・・。沖縄に着いた時のような熱気が窓越しに伝わってきた。

2つのスーツケースを積んでいると、一人の男性が手を貸すという。
自分なりに相当断ったつもりだったが、カートのハンドルはすでに彼の手に。
迎えに来てくれた友人がその男性にチップを払ってくれた時は、
バツの悪い気分になった。

迎えに来てくれた友人は、日本で何度かパーティーで会った
ボリビア人の男性と日本人の女性の夫婦だ。
スペイン語の嵐を覚悟していた私の前で繰り広げられる会話は
予想以上に日本語が多く、車窓から見える景色も南国なせいか心が安らいだ。
いうまでもなく奥様は、スペイン語がとてもお上手なのだが。

お二人ともとても優しく、特に奥様は笑顔の本当に素敵な方で、
だだっ広いボリビアの地にポツンと降り立った私をあたたかく迎えてくれた。

空港から市の中心部、セントロへは車で30分ほど。
田園風景から一気に街の喧騒に包まれる。
アメリカでもないヨーロッパでもない、でもどちらにも似ているような。
初めて見る割には、見たことがあると感じるような雰囲気だった。


サンタクルス 9月24日広場に面するカテラドル

【サンタクルス正式名称】
サンタ・クルス・デ・ラ・シエラ(Santa Cruz de la Sierra


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【南米ボリビア紀行2010】エル・アルトの滑走路で

「着いちゃった」
ラパス エルアルト国際空港の着陸とともにそんなことを思った。
薄曇りの朝。外は寒そうに見える。

地球の反対側という長い長い距離がそう思わせるのか、
日本の生活とは異なる何かがそこにあるという思い込みなのか、
相当頑張らないと着かない、着く頃に自分は疲労困憊しているだろう、
そう思っていた。

しかし「飛行機に乗れば着く」、ただそれだけのことだった。

南アメリカ大陸のほぼ中央に位置するボリビア。
正式名称、ボリビア多民族国。
その人口の半分以上が原住民族で、その名の通り多数の民族が暮らしている。
公用語もスペイン語の他にケチュア語、アイマラ語、グアラニー語が定められている。

「ここに2、3時間もいれば高山病にでもなるのかなぁ」
とふと思いながら、降りていく乗客たちを眺めていた。
その日は、旅行客らしい欧米人よりも、
現地の家族連れらしい人達が多く目に入った。

離陸時間まであと10分。
これから各座席をセキュリティーチェックをするそうだ。
なんてことはない。
一座席、一座席、乗務員が手で触って不審物がないか確認するのだ。

150席はあるだろう。
ひたすら2名の乗務員が座席の全身をなでるのようにチェックしていく。
もちろん出発予定時刻はとうに過ぎている。

30分以上たってようやくラパスから乗る乗客が搭乗してきた。
アメリカン航空は、マイアミ―ラパス―サンタクルスを周回しており、
ラパスとサンタクルスで人が乗り降りするのだ。
サンタクルス行のチケットを買ってもラパスで一度着陸をする。
(2010年1月現在)

ボリビアの滞在期間はちょうど1ヶ月。
最初の私の目的地はサンタクルスだ。

隣の席に座ったアメリカ人の女性が目を丸くした。
日本からボリビアに着くのに1日かかると言ったからだ。
ボリビアへ何のために来たのかという彼女の質問に私は答えた。
「友達の結婚式とカーニバルのためよ」

それにしても、よくもここまでずうずうしく来たものだ。
そんなことを思っていると、機体はサンタクルスへ向けて宙に浮いた。


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【夏休み特別企画】南米ボリビア紀行2010

毎日暑い暑い暑い日が続いていますが、みなさんお元気でしょうか?

8月といえば夏休み。
社会人といえば通勤電車が少しすくくらいで、変わらぬ毎日。
お母さんは毎日子供のお昼ごはんに頭を悩ませる日々。
学生さんはバイト?旅行?レポート?

なにはともあれ!「夏休み」 です!

「ボリビアのことならなんでもOK」がこのブログのコンセプトということで
2010年1月から2月にかけてボリビアへ滞在した日本人のボリビア紀行、
連載開始です。

紀行文とは名ばかりで、ボリビアで感じたこと、行く前に考えていたこと、
日本に帰国してから考えたことなど、いろいろ交えて自由に書いていきたい
と思っています。

現地ボリビアの情報に関してはできうる限り正確にお伝えしたいと考えて
おりますが、勉強不足、知識不足、語学力不足を先に宣言させていただきます。
「ボリビアに行ったらそんなことなかった!」
と苦情を申されても責任を取りかねますのであらかじめご了承くださいませ。

連載期間の予定は1ヶ月くらいを目途に考えています。
どうぞよろしくお願いいたします。
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