【夏休み特別企画】南米ボリビア紀行2010

毎日暑い暑い暑い日が続いていますが、みなさんお元気でしょうか?

8月といえば夏休み。
社会人といえば通勤電車が少しすくくらいで、変わらぬ毎日。
お母さんは毎日子供のお昼ごはんに頭を悩ませる日々。
学生さんはバイト?旅行?レポート?

なにはともあれ!「夏休み」 です!

「ボリビアのことならなんでもOK」がこのブログのコンセプトということで
2010年1月から2月にかけてボリビアへ滞在した日本人のボリビア紀行、
連載開始です。

紀行文とは名ばかりで、ボリビアで感じたこと、行く前に考えていたこと、
日本に帰国してから考えたことなど、いろいろ交えて自由に書いていきたい
と思っています。

現地ボリビアの情報に関してはできうる限り正確にお伝えしたいと考えて
おりますが、勉強不足、知識不足、語学力不足を先に宣言させていただきます。
「ボリビアに行ったらそんなことなかった!」
と苦情を申されても責任を取りかねますのであらかじめご了承くださいませ。

連載期間の予定は1ヶ月くらいを目途に考えています。
どうぞよろしくお願いいたします。
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WARA 日本公演無事終了!

昨日の立川公演をもってWARAの日本公演はすべて終了いたしました。
ご来場いただいたみなさま、関係者のみなさま本当にありがとうございました。

改めて写真や動画などを通して、ご報告させていただきたいと思います。
短い公演期間でしたが、たくさんの方に楽しんでいただいて
本当によかったと思います。

またこのような機会を作れればと思っておりますので、
今後もどうぞよろしくお願いいたします。


◆WARAコンサート速報は http://www.zenobiamamani.com へ!!


WARA速報

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WARAの足跡をたどって

ボリビアのフォルクローレグループ「WARA」の来日を控え、何かみなさんにお見せできるものはないかと思い、Carlos Dazaと連絡をとりました。もし何か、自分たちの気に入っているビデオがあったら私のページで紹介したいと。

日本でボリビアの道標となる小さな窓を見つけることはないだろうかと検索していると、驚いたことにWARAの歴史を描いた素晴らしいビデオに遭遇しました。そこで、WARAの歴史の一部をみなさんに紹介してみようと思います。


WARAについて語ることは、ボリビアの音楽の歴史を語ることであるといえます。フォルクローレグループWARAは1970年代に、ボリビアの音楽に新しいアプローチをもたらしたのです。


当時、まだ原住民に対する理解は不十分で、都市部のボリビア社会が彼らに向ける目は厳しいものでした。そこにはポンチョやチャランゴ、ケーナといった民族楽器そのものに対する偏見すら存在しました。1952年まで原住民は都市部に入ることすら許されず、都市部と農村部のパイプは細く乏しいものでした。


裕福な家庭の出身であるWARAのメンバーたちが、原住民の楽器を使うということは、人とのつながりを変えることを意味しました。家族と議論になったり、人との付き合いも変わったり、友人たちをも変えざるをえない状況になったといいます。


WARAの起源であり、バックグラウンドはロックです。メンバーそれぞれが異なるロックバンドで活動していましたが、Carlos Daza, Dante Uzquiano, Jorge Cronembold, Jorge Komoriのメンバーで「Konga」というグループを結成しました。Carlos、Dante、 Jorgeは近所でサッカーをして遊ぶようなサンペドロ地区の仲の良い幼なじみでした。


「Konga」としての演奏活動中、アルゼンチンの旅路で音楽を勉強していたOmar Leónと出会います。Omarもふくめて2日間の汽車の帰国の途中、彼らがボリビアのアイデンティティを追及できるバンドを作ろうと、自分たちの音楽を探りました。WARAの結成にはまだ時を待たなければなりませんが、ここでTABUという人気バンドが結成されました。


彼らは学校や若者の集うパーティーにおいてたいへんな人気を呼び、大きな成功を収めました。しかし、ある2つの若いグループ同士の対立がもとで深刻な問題が起こると同時にTABUは音楽活動を停止することになりました。


スポットライトの下から離れ、自分たちを見つめなおした活動停止期間は、彼らの言うところによる「共に生きるための修業と自分たちの音楽の土台」となり、彼らの精神的な成長を促す結果となったのです。


(文中敬称略)

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Adelante Zenobia Mamani!!

きっとあなたは新しい道で成功を収めるのでしょうね。

僕はあなたのことをよく知っている。
30年以上、知っている。

ボリビアのラパス、ペーニャナイラで、
毎日疲れも見せずにどれだけ踊っていたことか。

きっとあなたには幸運がついているのでしょうね。
あなたは自分でやろうと思ったことは、必ず実現させましたね。

だから、日本でも、新しい道でも、
必ず思いを実現することができるでしょう。


mil felicidades
tu amigo y compadre  
Ernesto Cabur


ボリビアに帰りたいとか、ボリビアの食事が懐かしいとか
思うこともありますが、
何をどうしても日本で頑張らなければ…、そう改めて思いました。


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ティワナクの不思議

先日紹介したアイマラの新年の儀式はボリビア各地で行なわれますが、なかでもティワナクは重要な場所といえます。

前の日の夜(日本で言うなら大みそかになりますね)から、観光客を含むたくさんの人々がティワナクへ集い太陽を待ちます。ちなみに現職の大統領もその儀式に参加しました。

そのティワナクはユネスコの世界遺産に登録されていることでも有名です。この文化、文明の起源はいまだはっきりしませんが、紀元前800年くらいからという見解が一般的ではあります。

しかし、最新技術による近年の遺跡研究では、なんと推定17,000年前というデータが出てきたというのです。ヨーロッパの考古学の数字でも8,000年といったところですので、驚異的な数字と言えるでしょう。人類の起源はティワナクにあるのではないかという推測もあり、注目を集めています。

考古学の世界では時間が前後するのは当たり前といわれていますが、最新科学の発達には目を見張るものがあります。

このティワナクの調査において、もうひとつ驚きなのは、そのことを約60年前に指摘した人物がいるということです。

彼の名前はArthur Posnansky (1873-1946) 。1943年に出版された彼の著書「Tihuanacu, the Cradle of American Man」で、ティワナクは約12,000年前を起源であり、かつ人類の起源の場所でもあると。

当時は全く注目を浴びなかった彼の論説が、21世紀の今、たいへんな注目を集めています。

ティワナク ティワナク遺跡





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フォルクローレで「心の健康を測る」

毎日人生に感謝するような出来事がたくさんありますが、今日は思いもよらない方と会いました。

「人々の心を見たい」とおっしゃるその方は、宮本さん。
心で考えたり、感じるのではなく、心が見たい…。

彼の情熱が、フォルクローレを見たのでしょうか。
それともフォルクローレが彼の心を見たのでしょうか。

宮本さんは、重病の患者の方々や手の施しようのない病状の人々に、世界中の音楽を聴かせ、音楽を治療に生かす研究をされています。

その研究で最も治癒力の高かったものが、なんとボリビアのフォルクローレだったというのです。チャランゴやケーナの音色が重病に侵された人々を癒す効果があったなんて、なんと素晴らしいことでしょう。

自分の国から遠く離れたこの場所で、フォルクローレが私たちに生命を与えてくれるようなものだったと知るなんて!


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あけましておめでとうございます!

みなさん、新年明けましておめでとうございます。
今年もみなさんにとって良い年でありますよう、
心よりお祈り申し上げます。

なんと季節はずれな・・・いえいえ、そうではないのです。

毎年冬至はアイマラ歴での新年です。
南半球に位置するボリビアは今が冬真っ盛り。
日本が夏至を迎える頃、一年で一番寒い冬至がやってきます。

今年はアイマラ歴5518年。
西暦でいうと紀元前3508年から続く長い暦となります。
この日は各地で太陽を迎える新年の儀式が行なわれます。

ボリビア初の原住民出身の大統領のもと、ボリビアの多様な
文化を今一度、再認識しようという潮流が起きています。
今年からアイマラ歴の新年を国の祝日としたのも、その表れと
いえるでしょう。

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ボリビアのプロサッカーリーグ その2

「ボリビアのプロサッカーリーグ その1」の続き

ラパスは標高3500m超の寒冷地、サンタクルスは標高400mの熱帯地帯です。
わがボリビアのプロサッカー界は、著しい環境の差とどう向き合っているのか?

結論から申しますと、地域に関係なくHome&Away方式で試合をやっています。
それがボリビアですから当たり前といえば当たり前。
高山病もつらいけど、熱帯の湿気も蚊もつらい。お互い様といったところでしょうか。

ボール1つさえあればどこでもできるのがサッカーの魅力のひとつですし、
なにかと高地の試合でのハンデが騒がれますが、
標高3500mだろうが何だろうが、何千年も人が暮らしているわけですからね。

ちなみに2010年シーズンは以下のグループ編成で行なっています。
SerieAとBは2つのグループに分かれているだけで同じ1部リーグです。

チーム名(都市名)

Serie A
Aurora (Cochabamba:標高 約2,600m)
Blooming (Santa Cruz de la Sierra:標高 約400m)
San José (Oruro:標高 約3,700m)
Guabirá (Santa Cruz de la Sierra , Montero:標高 約400m)
The Strongest (La Paz:標高 約3,600m)
Universitario (Sucre:標高 約2,900m)

Serie B
Bolívar (La Paz:標高 約3,600m)
Jorge Wilstermann (Cochabamba:標高 約2,600m)
La Paz F.C. (La Paz:標高 約3,600m)
Oriente Petrolero (Santa Cruz de la Sierra:標高 約400m)
Real Mamoré (Trinidad:標高 約150m)
Real Potosí (Potosi:標高 約4,000m)

そんなボリビアのプロリーグが設立されたのは、1977年。
「ボリビアのプロサッカーリーグ その1」の問題の答えです。

20世紀初めにラパスやオルロでサッカーが行なわれるようになり、
アマチュアリーグも始まりました。
全国規模の試合がスタートしたのは1960年からのことで、
南米のクラブチームによる国際大会の出場チームを決定するためでした。

Jリーグ発足が1993年。
同じ南米のアルゼンチンは1931年からプロリーグ開催。
各国のサッカー事情を調べてみるのもなかなか興味深いものがありますね。


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ボリビアのプロサッカーリーグ その1

4年に一度のワールドカップ、
・・・につられて、またまたサッカーの話になってしまいました。
スポーツにあまりご興味のない方、この1ヶ月はご容赦くださいませ。

さて、ここで問題。

ボリビアのプロサッカーリーグ設立は西暦何年でしょうか?

 Liga de Fútbol Profesional Boliviano (LFPB) 、
ボリビアプロサッカーリーグは日本でいうJ1(Jリーグの一番上のレベル)で
12チームが2つのグループに分かれています。(Serie AとB)

それぞれのグループの上位2チームが準決勝、決勝とコマを進め、
そのシーズンの覇者を競います。

2003年からはシーズンが前期・後期に分かれて行なわれ、
なんと優勝のチャンスが年に2度。
サッカーファンの寿命が心配になりますね。あの熱狂が年に2度も、ですよ。

ご存知の方も多いかもしれませんが、南米のサッカー熱はそれはそれは
すごいものです。

知人の話では、
ボリビアでもケンカになることはあるけど隣の国のような殺人はおこらない、
とのことでした。

ちなみにいわゆる1部リーグの下に2部リーグ(地方リーグ)も存在します。
必然的に1部リーグ下位チームは地方リーグとの入れ替え戦があり、
昇格・降格をかけたシビアな戦いもあります。

それはそうと、国内の広さ(日本の3倍)はもちろん、あの標高差・気候の差、
お気づきの方、するどいですね。


「ボリビアのプロサッカーリーグ その2」へ続く

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サッカーワールドカップ2010に寄せて

サッカーワールドカップが開催して数日がたちました。
観戦で寝不足気味だという声がちらほらきこえてきますが、
さて、ここで問題。

ボリビアのワールドカップ出場回数は何回でしょうか??

南米諸国はサッカーが大人気。
大人から子供まで多くの人に愛されているスポーツです。
もちろんボリビアもその例外ではありません。

現ボリビア大統領もサッカー好きで知られており、
2008年には2部リーグチームのリザーブ選手として登録されました。
2007年にFIFAが高地での試合を禁止した際には、
抗議の一環としてボリビア最高峰6,542mのサハマ山でサッカーを行ない
その様子は世界各国で報道されました。

ちなみにラパス市にあるエルナンド・シレス競技場の標高は3,577m。
世界最高所に位置する公的競技場です。
1931年建築の45,000人を収容する大きなスタジアム。
それに比べると日本のサッカー人気は本当につい最近のことのように感じられますね。

というわけで、そろそろ正解を。

正解は 3回 でした!!
(1930年、1950年、1994年の3回)


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